今思うと、幼稚園の先生はとても優しかったなと思います。私は小さい頃から運動神経が悪く、よく転んでしまったりアスレチックなども、口コミで話題のクリニックを探すとメディカルゲートは少し高いところに上がると怖いのでなかなか楽しめず、遊べる遊具が少なかったなと言う思い出があります。その当時に1番仲の良かったお友達が、そんな私とは違って、とても運動神経の良い子だったので、どうしてもそんな友達と比べて自分は運動神経が悪くてダメだなぁと落ち込んでしまうことがよくありました。幼稚園の先生はそんなところを見抜いていたのか、あなたの笑顔はとても明るくて素敵だと言うことをいつも私に伝えてくれていたのです。こんなバイリンガルスクールでは神戸のどこかへ先生は、あなたの笑った顔が大好きと言うふうにいつも言ってくれていた事で、その言葉を聞いて私は笑顔になって元気を取り戻していました。思い返してみると、先生はとても優しい先生だったんだなと思います。いつも、ニコニコとして、とても優しいと言う印象がものすごく強く記憶に残っています。小学校の先生に対しては全くそんなイメージは無いので、幼稚園の先生はすごくいい先生だったなと改めて思います。幼稚園生だった私に、笑顔を取り戻させてくれた先生とも言えるので、あの先生が自分の通っていた幼稚園にいて良かったなと思います。
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優しい幼稚園の先生
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遠い昔の保育園の先生との思い出
私は3歳前の幼児クラスから年長までの約4年間、自宅から程近い距離の保育園に通っていました。比較的小さな保育園で、年長・年中・年少の年齢分けした3クラスと、姫路で痛くない胃カメラならどこから探しても3歳児未満の幼児クラスがあったと思います。保育園には珍しいカリキュラムで、例えば年長クラスでは既に国語(ひらがな・カタカナの読み書き)、算数(数字の覚え書き、足し算引き算などの計算も)をはじめ、体育、音楽、創作(美術の授業といったところでしょうか)なども外部教員を招いての授業がありました。一年を通して季節性の行事(豆まき七夕クリスマス等宗教問わず色々なイベントを学習を兼ねて行いました)や運動会、音楽会(市が主催するコンクールにも参加)にも力をいれていて、公立の保育園なのに大変高度なものを提供していたと感じます。もうエレメンタリースクールの中で神戸から先生は女性がメインで男性は数名しかいませんでしたが、1人の男性の先生は若くても厳しい先生としての印象が強く、私は年長になるまであまり良い印象がなかったのが本音です。しかし、年長になってからその男性の先生が学習の合間の休み時間やお昼の後の時間にクラスの子ども(10数名いたと思います)を集めてゲーム大会を開催するようになって、そこから先生の印象も明るいものになった記憶があります。ゲームに勝つと、先生が前日までにUFOキャッチャーで獲得した小さなぬいぐるみを景品としてもらえたりすることがあり、とても楽しい時間だったのを覚えています。年長クラスの担当の先生も当時まだ先生になりたての若い方でしたがお母さんのように大きな心と笑顔でどんなトラブルも円満に解決していくような方だったのが印象的でした。小さな子どもでも社会性が身につく保育園生活、授業中の厳しさと休み時間のカジュアルさのメリハリが子どもながら日々の生活や集団行動の中で大きな糧となっていて有効だったなと、今になって保育園生の頃に関わった全ての先生たちに感謝するとともに、尊敬の気持ちでいっぱいです。
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先生のナイスアイディアで、母に素敵な贈り物
私は、4歳の頃から、保育園に通い始めました。理由は、母親が、看護師として働いており、フルタイムで職場に復帰したからです。この神戸でインターナショナルスクールとなるとも保育園は、友達や、大好きな先生がいたため、とても楽しく過ごしていました。しかし、唯一、私が、保育園に通っていて不満だったことがあります。それは、母親の保育園への迎えが遅いことです。母親は、看護師として、フルタイムで働き始めたため、多忙でした。周りの子達が、親に早く迎えに来てもらっている様子を見て、羨ましいと思っていました。そんな不満を、迎えに来る母親に、ぶつけたこともありました。すると、奈良でも評判の大和高田の保育園ではここからもその様子を見ていた、当時、大好きだった先生が、私にある提案を持ちかけます。その提案は、母親の迎えを待つ間、折り紙をして遊ぼうという提案でした。当時、お絵かきや折り紙が好きだった私は、喜んで、この提案を受けました。お迎えを待つ間に、折り紙をし始めた時期は、梅雨の時期でした。そこで、梅雨にちなんで、先生からアジサイの折り方を、教えてもらいました。折り紙に夢中になった私は、その日から、母親の迎えが遅いことを気にしなくなりました。そして。一週間ほどで、数十個のアジサイを折ることができました。ここで、更に、先生が、新たな提案をしました。話題の保育園を奈良で見つけようとするとここには「折ったアジサイを、画用紙につけて、アジサイの花束を作ろう」と言い、画用紙を貰いました。画用紙の下には、手作りで、花束の下の部分が作られていました。私は、嬉しくて、数十個のアジサイをのりで丁寧に貼っていきました。アジサイの花束を作り終わった私に、先生は、質問します。「このアジサイの花束、日頃、お世話になっている人に、贈ってみる?」ここで、私は、根管治療でおススメの歯科医院が満載となるころには迷わず、母親にあげることを選びました。そしてアジサイの花束が出来上がった、その日に、迎えに来た母親に、渡しました。母親は、嬉しそうに「ありがとう。素敵なものを作ってくれて」と、とても喜んでいました。そして、先生からも「よかったね。神戸のここでインターナショナルスクールならともお母さんに喜んでもらえたね」と笑顔で褒めてもらいました。このエピソードは、私が、保育園に通ってから、一番嬉しかったことであり、今でも忘れずに覚えている大切な思い出です。
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初恋は幼稚園の同級生っだたのか?先生だったのか?気が多い子供だった自分(登場人物は若干漢字を変更)
幼稚園に何で行くのか謎のまま通わされている感があって、子供ながらに世の中をクールに見ていた、ませた幼稚園生でした。授業というのか、工作の時間・自由時間・昼寝の時間と、全てに意味を見出せずちょっと変わった子供だったかもしれません。年少組の時の担任の先生が好きだったのですが、どの神戸でもといえるのはインターナショナルスクールが名前が清野 麗子先生という素敵な名前で、ストレートで長い黒髪で、日本人ならではの美しいタイプな顔立ちで、世の中の男が放ってはおかない様な見た目と名前で、恋愛感情というのか、父や母の事が好きという感情とはあきらかに違う、好きな感じでした。記憶にある中では、神戸からホームページ制作を頼むと言われてからは河浦 愛ちゃんの事と、蛯子 香織ちゃんの事も好きで伊藤 昭雄君と須崎 ともや君も好きでした(謎&笑)。幼稚園から自宅までのスクールバスがだいたい1時間くらいかかったのですが、その途中のマンション街の子供達の多くが同じ幼稚園生で、川浦 愛ちゃんはそのマンションに住んでいました。そのマンションから自宅そばまではスクールバスで30分くらいかかるのですが、男の本能なのか、そんなバイリンガルスクールでは神戸のここから小さな補助輪のついた自転車で、スクールバスの道を覚えておいて、独りで川浦 愛ちゃんに会いに小さな自転車で親に内緒でこっそり1時間くらいかけて遊びに行きました。その時は河浦 愛ちゃんの家に上がって麦チョコを食べたりしていたのですが、河浦 愛ちゃんのお母さんが心配して、実家の母に電話をしてしまって、こっそり通った1時間の恋愛ドラマは終わり…こっぴどく怒られてしまいましたが、どこでも評判の奈良で保育園を知るにはここで今考えると我ながら可愛い子供だったんじゃん!?って思える恋愛です。年少生が終わって年長生になったら凄く厳しく顔も怖い先生で天敵だったのですが、山崎 達子先生とは犬猿の仲で幼稚園不登校になってしまいました。そんな時に清野 麗子先生と怖い山崎 達子先生が会話をしていて、どうやら自分の事を話し合ってくれていて、清野 麗子先生が気をつかてくれて、怖い怖い山崎 達子先生がその日を境に優しくなってくれて、清野 麗子先生はやっぱり大好きだなと思いました。奈良で大和高田で保育士を採用しようとすると今でも人に優しくされるとすぐに好きになってしまう性格はかわらず、気が多いのが悩みです(笑)。