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喜んでくれた幼稚園の先生
私が幼稚園の頃に先生との嬉しい経験は、運動会の練習の時のことです。大きな棒をお友達4人で持って走り、コーンをぐるりと一周してゴール地点まで走るという競技だったのですが、私は一番外側だったのでコーンを中心に折り返すときに余計に急いで走らなければいけません。焦ったのと棒を離してはいけないという思いで、途中でズサーっと派手にこけてしまい、膝から下を擦りむいてしまいました。その時は痛さより恥ずかしさでしょんぼりしたのを覚えています。職員室に連れて行ってもらい、擦りむいた部分を消毒してもらいました。その時、園長先生が私の目線まで小さくかがんで優しく「大丈夫よ」と言ってくれたのを覚えています。しかし翌日、翌々日と運動会の練習を休んでしまいました。その次の日はもう運動会本番でしたが、またこけてしまうのではないかという恐怖で不安でした。「でも明日はもう本番だし…」と小さいながらにも決心を固めて練習に合流した時、隣の組の先生が「あっ!〇〇ちゃん!来たね!よーし!がんばるぞ!」と言ってとても喜んでくださり、抱っこしてくれました。その先生と言葉を交わすのはその時が初めてだったので妙に照れてしまい、顔が真っ赤になりました。そしてドキドキが止まらぬままスタートの旗が上がり、それはもうとにかく一生懸命に走りました。何も聞こえず自分の荒い呼吸だけが耳に残っています。そして無事にこけることなく走ることができました。あの時、抱っこして大喜びしてくださった先生にとても感謝しています。
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子供の心を観てくれた先生
子供は3歳の元気な男の子です。ただ、人一倍にこだわりが強いせいか親の言うことも聞いてくれません。うちは共働き世帯ですのでどうしても保育園に預ける必要がありました。当初、こだわりが強すぎるあまり、迷惑をかけるのではないか?との不安がありました。保育園の先生にうちの子供の特徴、普段どんなことをしているのか、好きな食べ物などを細かく書いたメモをお渡ししました。ところが「必要ありません」と一言。何でだろうかと不安に思いました。まずは一週間、預けてみて、合わなければ保育園を変えれば良いとも考えていたのです。しかし、一週間後、子供の態度が明らかに変わっていました。というのも、こだわりが強すぎて大変だった息子が自分から進んで色んなことに興味を持ち始めて、別人のようにこだわりがなくなっていたのです。これには妻とも驚いてしまいました。後日、先生に保育園での息子の様子を聞く機会があったので話を聞きました。すると一言、「子供の行動に目を向けるのではなく、心に目を向けると色んなものが見えるんです。」と回答をいただきました。私達は子供はこうあるべきという型に嵌めて見ていたのですが、先生は型に嵌めるのではなく、子供の思うままに行動させてくれ、本心を見抜いていたのです。それからは先生に指導を受けながら、私達も子供と共に成長していくことを決意しました。
先生には大事なことを教えていただけて感謝の思いでいっぱいでした。 -
わざわざそんな事で!?先生からの電話。
今年、末っ子甘えん坊の息子が幼稚園に入園した。面接の時から名前は言えない、先生の顔を見れない、お話できない等心配事は山のようにあった。それでも希望の幼稚園に入園できる事になり、入園式に向けて幼稚園の楽しさをなんとか伝えようとした。迎えた入園式当日は朝からてんやわんや。制服着たくない。行きたくない。なんとか連れて行ってもずっと泣き叫んで不機嫌で上履きも履けない。周りにも何人か泣いてる子はいたが、息子ほどではなかった。これからの息子の幼稚園生活はどうなるのか不安でしかなかった。しかし、思ってたより馴染むのは早かった。友達もできて楽しく遊べるようになったのか、入園して1ヶ月もする頃には早く幼稚園に行きたいと言うほどになった。息子の通う幼稚園は英語や体操、音楽指導等に力をいれていて、園生活に慣れてきた頃から徐々に始まっていった。しかし息子は教室のすみでじっとして、園の活動に参加しようとはしなかった。それでも回を重ねる度、担任の先生が声をかけてくれて「今日は少し参加できましたよ!」「今日はこれができるようになりました!」と送迎時に話してくれて、少しずつ参加できるようになってきた。ある日、いつものようにお迎えに行き、今日はこんな活動しました、と報告を受けて帰宅した。その日の夕方、園から電話が。息子が何かしでかしたのか!?と不安に思いつつ電話に出ると、担任の先生からだった。「先ほどお迎えの時にお伝えするの忘れてしまったのですが…」「すみません!うちの子何かやってしまいましたか?」「いえいえ、そういった事ではなく。今日息子くん、体操の時間を最初から最後まで参加できたんですよ!初めて全部参加できたので私も嬉しくて、お母さんにお伝えしなきゃと思っていたんです!すみません、お伝えするの忘れてしまって。」私はわざわざそんな事を伝えるために電話を?と驚いた。しかしそれと同時に、先生がこんなにも息子の事を見てくれていて、些細な事でも伝えてくれた事が嬉しくて、少し涙ぐんでしまった。何人もクラスの子がいる中、一人一人細かい事に気を配ってくれている先生の存在は本当にありがたい。この園に決めてよかったと改めて思った。今は息子も楽しんで園に通っている。
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常に側にいて見守ってくれた保育士さんは頼もしかった
保育士さんの方々は親切にしてくれたから良い思い出しかないです。やっぱり子供が好きだから保育士さんは優しかったのだと思います。めったに怒ることがなくて温厚だった保育士さんは理想の大人だと感じていました。子供に合わせた言葉遣いをしてくれたからいつも話しやすかったです。毎日気分が良かったから行くのが楽しかったです。まるで家庭にいるような感覚になれたのも親身に世話をしてくれた保育士さんのおかげです。自由に好きなことをして遊べたから、最高の時間を過ごせました。家からは少し離れたところにあったのですが親に送り迎えをしてもらっていました。親とも仲良く話していた保育士さんは凄く性格の良い人でした。常に笑顔で私と遊んでくれてありがたかったです。私の安全のことをしっかり考えてくれていることが子供ながらによく分かっていました。保育士さんが常に側にいてくれるという安心感があったので、好きなだけ走り回ることができました。他の園児とけんかした時はすぐに仲裁してくれたから仲直りがきちんとできてよかったです。私は恥ずかしがり屋だったので最初は保育士さんと上手く話せませんでした。今思えばもっと保育士さんと触れ合いたかったです。新しく入ってきた園児がすぐに溶け込めるように気を使っていた保育士さんのことをずっと忘れられないです。
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幼稚園の先生との優しき時間
幼稚園に3年くらい通っていました。毎日楽しくお友達と遊んでいたような気がします。その中でも1番好きだったのは紙芝居を見るお時間でした。「今回は何のお話かな?」とわくわくしながらいつも楽しみにしていました。おとなしくて内向的な子どもだった私は、先生と積極的にお話しした記憶はあまりありません。なので先生が話しかけてくれた時はとても嬉しかったことを覚えています。ある日のこと、紙芝居をしまっているお部屋の前で、扉のガラスのところに私がおでこをくっつけてそのお部屋の中にある紙芝居をガン見してのぞいていたところに先生が通りました。おそらく先生は驚いたと思うし、「この子は一体何をしているのだろう?」と思ったと思うのですが、先生は優しく「紙芝居好きなの?」とおっしゃいました(←この想像力、さすがです!)。私は小さく「…うん」と答えました。先生は「そう!」とおっしゃって通り過ぎました。その数時間後、その日は紙芝居のお時間はない日だったのですが、先生が紙芝居のお時間を作ってくださいました。私の方をみて優しく微笑みながら。それがとても嬉しかったです。今思えばスケジュールを変更するのは大変だったろうと想像できます。こうして文章を書きながら当時のことを思い出し泣きそうになっています。先生、あの時は本当にありがとうございました。
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幼稚園の先生との秘密
幼稚園に通っている時、とても大好きだった女性の先生がいました。
いつも優しく笑顔で話しかけてくれるので、人見知りだった私も先生には心を開いて沢山お話をするようになっていました。
夏休みになって私は家族とディズニーランドに行きました。
初めてのディズニーランドにとても感動して、帰りはお土産を買って帰ることにしたのです。
そこで大好きな先生にもお土産を買って渡そうと思いつき、ミッキーマウスのキーホルダーを買いました。
早く先生に渡したいとウキウキしながら眠り、翌日幼稚園に行き先生にお土産を渡しました。
そこでとても感動して楽しかったディズニーランドの思い出話を先生に沢山話したのです。
先生は一生懸命私の話しを聞いてくれて、お土産もとても喜んでくれました。
先生はそのキーホルダーを自分のかばんに付けてくれて、とても大切にしてくれたのです。
何ヶ月後、今度は先生から旅行のお土産をいただきました。
私の名前の書いているハンカチを選んでくれていました。
幼稚園児ながらお土産をもらえたことがとても嬉しくなり、先生と自分の二人だけの秘密の様な気持ちになりました。
卒園する時、先生からお土産を買ってきてくれて本当に嬉しかったよと言ってもらえて嬉しかった思い出があります。 -
長男のイヤイヤ期に保育園の先生に言われたこと
長男は2歳から保育園から行ったのですが、入園後しばらくしての面談で先生に言われたことがとても心に残っています。2歳はかわいい盛りではあったけれど、イヤイヤ期がひどく育児で落ち込むこともよくありました。お父さんとはお風呂に入るのに、わたしとだと入ってくれない。夫の方がイヤイヤで機嫌が悪くなった息子のあしらいが上手い。1人目の子どもということもあり、自分は育児が下手なんだ、頑張っているのにいいお母さんになれない。育児について自信をなくすことが多く、もしかしたら面談の時も緊張した暗い顔をしていたのかもしれません。そんな私に先生が教えてくれたのが、保育園での長男のリアルな笑い話や先生から見た長男の姿でした。転んでしまったお友達の服についた砂を払おうとして、服をはたきすぎてお友達を泣かせてしまった。「抱っこして」とは言いに来ないけど、他の子を抱っこしていると遠巻きに見ていて、「抱っこしようか?」というと嬉しそうに抱っこされる意地っ張りなところがある等々。育児について直接アドバイスをもらったわけではないけれど、自分の他にも長男をずっと見ててくれる人がいる、ということがすごく嬉しくて、いままで張りつめていた気持ちが一気にほぐれました。最後に「大変な時期だとは思いますが、一緒に頑張りましょう」と言っていただいたのも、辛いときの心のお守りになりました。
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縄跳びを先生がカウントする!!
私は何を隠そう幼稚園時代に縄跳びが得意でした。(ただバカみたいな事に集中できるというだけとも言えますが(泣))ハッキリとは覚えていないのですが、700回近く飛んだと記憶しております。普通は皆やるので時間の都合やら色々あると考えますが、その当時は耳が聞こえにくく(先天性感音性難聴)まあ深い思慮もありませんから純粋に記録に挑戦したのでしょう、きっと。また小さいころは年上のお兄さんやお姉さんに交じって遊んでもらう事も結構ありましたし、産まれたのがはやい方で(6月産まれ)体の成長もいわゆる大きい方だったというのもあるのでしょうか。体力系のバカですね。先生が目の前でカウントされるのですが、よくもまあ皆の飛んだ回数を記録していったもんだと思います。園庭で遊ぶ事もですが、これが一番の記憶として残っております。人生何があるか分かりませんし、何がその子にとって影響を与えるかもわかりません。そうした中で恐らく工夫して一人一人の縄跳びを飛んだ回数を記録する事になったのでしょうが、私からすると今でも続いていて欲しいなと考えます。カウントする方はなんか目が回りそうですよね、今では縄跳びをする事はないですが体を鍛えるという事や健康志向であってもとても良い運動と考えます。先生、その節も有難うございました。先生という職業は先生という言葉はおそらく永久に不滅です。
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保育園や幼稚園で先生に言われた想い出深い言葉
保育園の頃、とても人見知りでいつもシクシク一人で泣いていました。そんな時、保育園の先生がいつも抱っこして頭を撫でてくれたことを覚えています。
そして、保育園から幼稚園に入ったのですが、幼稚園の頃にも人見知りは続いてました。さすがに幼稚園ともなるともう少し言葉を話すことができます。ある時、一人でお砂場遊びをしていたのですが、先生がやって来て一緒にお城を作ってくれたのです。この時「○○ちゃんはお砂遊びがとても上手だね」と言ってくれました。物凄く嬉しかったことを覚えています。
今思うと、そのほとんどを先生が作ってくれたように感じられるのですが、当時は自分が作ったという気持ちでいたのです。それを褒められたので自信が湧いてきました。その日からというもの、せっせとお砂場遊びでいろいろなものを作っていると、だんだん他の園児たちも混ざって遊ぶようになりました。誰かと一緒に何かを作るというのはとても楽しいものです。私もだんだんとお友達と話すようになり、卒園する頃にはたくさんのお友達ができていました。
当時の幼稚園の先生は一人一人の良いところをきちんと見ていたのだと思います。そして、さり気なく良いところを伸ばしてくれたのだろうなと思いました。 -
母の日の合作の似顔絵
近所の幼稚園に行っていたのですが、
急に保育園に転園することになった時の担任の先生の話です。
急な転園の理由は母の末期ガンが発覚したことでした。
当時は五歳で、人見知りでなかなか周りに馴染めずにいる私に、マンツーマンで紙芝居を読んでくれたり、ぬいぐるみを子供に見立てておままごとをしてくれてくれたり、とても気にかけてくれました。数ヵ月後母は亡くなりました。
お葬式の時五歳だった私には、母の死ということが理解できておらず、祭壇にある母の写真を見て、「なんでお母さんの写真があそこにあるんだろう?」と不思議な気持ちでいました。
保育園の先生がお焼香に来てくれました。
私は「あ!先生だぁ」と思ってうれしい気持ちになりました。先生はいつもの笑顔ではなく、涙を流していました。
「何か怖いことが起こっているのかなぁ」と
とても不安になったことを憶えています。母の入院中から、兄と私の面倒をみるために、祖母と同居することになりました。
母の死から2ヶ月後のこと、保育園で母の日へ向けて、お母さんの似顔絵書いてプレゼントしましょうと目の前に画用紙とクレヨンが用意されました。
「お母さんいないしどうしよう?」
何もできずに固まってしまいました。
周りはどんどん書き進めていくのに何もできないことに焦った私は「お母さんいないんですけど」
と担任の先生に言いました。先生は
「おばあちゃんの顔を書くのはどうかなぁ?
ご飯作ってもらったりしてるんでしょ?」母が死んで間もないのに、お母さんの似顔絵を書きましょうと言われた事は、かなり辛かったと今でも憶えています。
でも、先生が一緒にお婆ちゃんの絵を書いてくれたことが嬉しくて、傷ついた心が少し癒えたことも憶えています。