海外の日本人学校では、幼稚園から小学校、人気の保育園を奈良の大和高田でもどこかにして中学校まで一貫して日本人学校として運営している国が多くあります。私には2人娘がいるのですが、私が駐在していたタイやドバイでも同じように幼稚園、小学校と同じ校舎内で私の娘達も学んでおります。そんな中、ドバイ駐在中に長女が幼稚園を卒園し小学校へ上がり、こんなバイリンガルスクールが神戸の中にあるのは下の娘が今度は入園。2人揃って登校登園するようになりました。海外の日本人学校では、自宅の近くのバス停からバスで集団登校・登園することが一般的なのですが、こんなホームページ制作ができるなら神戸には一番最初、下の娘はどうしても不安だったと思います。そんな中、長女が幼稚園へ登園する際には、バスから降りて上の娘が入口まで付いて行き、帰りも幼稚園の入口まで迎えに行って一緒にバスに乗る。ということをしていたようで、神戸でもインターナショナルスクールといえるのは幼稚園の先生から「お姉ちゃんになったね!凄いね!偉い!」と褒められたことに長女は非常に達成感を感じたようで、それ以来妹の面倒をよく見るようになってくれました。本人もとても嬉しかったようで、帰宅するなりすぐに報告してくれました。幼稚園の先生達も小学校に上がった卒園児もかなり顔見知りだったりするので、子どもを奈良の保育園に口コミで入れるとしてもこういった距離感は現地日本人学校ならではのあるあるなんじゃないかな。と思います。
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保育園の先生とのおやつ作り
私が通っていた保育園では月に1回先生と一緒にクッキングというものがありました。簡単なデザートだったりおやつを一緒に作っていきます。エプロンや三角巾などを準備するだけで、あとは先生が用意してくれていました。地域の方に貰った野菜やくだものを使った作る事が多かったです。作るものは先生が決めていて、たまに食べたいもののアンケートを取ってくれたりしていました。一番思い出に残っているのは、スイートポテトです。サツマイモと牛乳と砂糖を混ぜて焼いただけの簡単なものです。大体何を作る時も30分以内で出来るものが多かったです。一生懸命作ったものはとてもおいしいのです。先生がボールを抑えてくれて一緒に混ぜたり、友達と一緒に丸めたりとにかく楽しかったです。難しい作業は一つも無いのに、何かするたびに褒めてくれる先生が大好きでした。みんなで一緒に作ったからというものあるのですが、先生が「〇〇ちゃんが丸めてくれたの、おいしいね」など言ってくれたのがきっかけで料理を作る事が好きになりました。先生のおかげで毎月楽しい体験ができて、将来のためにもなったと思います。毎日楽しく過ごせたのは先生が優しくて、たくさん褒めてくれたからだと思います。
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私自身が保育園で保育士をやっていた頃のやりがい
私が保育士をしていた頃の嬉しいエピソードは、子どもの前で自分が作ったエプロンシアターや紙芝居を披露し、子どもが喜んでくれた事です。子どもは絵本や紙芝居等の読み聞かせがとても好きです。私は変わった事がしたいと思ってエプロンシアターの本を見て裁縫をして頑張って作りました。裁縫は母から教わりました。時にはミシンも使いました。裁縫を使うのは小学生以来でした。紙芝居は色画用紙で作ったりしました。私が頑張った分、子どもが喜んでくれた事は格段に嬉しかったです。また、子どもが保護者に私のエプロンシアターや紙芝居の面白いエピソードを話したりするので、保護者からも私にお礼を言ってくれたりするので嬉しさも相乗効果です。モンスターペアレントといった事に遭遇する事はありませんでした。今は保育士を引退しましたが、自分自身、何かに対して熱中して作ることが好きであることや裁縫を使えるようになったのはプラスになっています。目的があれば私はそれに向かって熱中して取り組むことができます。そういう事が自己覚知できたのも保育士をやっていたからこそです。それだけでなく子育てや子どもの成長を理解できる機会を見させてくれたこの仕事が一番のやりがいやうれしさと思います。
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先生も?!
息子の通う幼稚園の先生は可愛くて優しい先生で子供たちからもとっても人気。
髪型やメイクも今時の若い女の子という感じでおしゃれな先生でした。
でもある時 園バスに乗る先生が見覚えのあるボールペンを使っているのを見つけて ドキドキ、、、
それは私の大好きなソシャゲのキャラグッズだったのです!私は周りのママ友には隠しているけれど実は生粋のオタクです。
え!?嘘、、いやいや もしかしたら たまたま幼稚園にあったものを使っているだけかもしれない
ボールペンなんてどこにでも売ってるはず、でもそのキャラクターは確実に幼稚園生が見るような内容ではないので子供ウケを狙ったわけでもなさそうで、、
毎日園バスに子供を乗せる時 そのボールペンを見るたびにモヤモヤが募ります。
思い切って声をかけようか、それともオタクバレを恐れて気づかないふりをするか、、
そんなある日息子が帰ってきて
「先生も〇〇らしいよ」(〇〇はそのソシャゲユーザーの呼び名です)とサラッと言いました。
さすがオタクの息子5歳にして英才教育されているので 先生のボールペンを見て声をかけたようです。
「え?!嘘?!そんなっ!!」同志を見つけた喜びと推理の当たった嬉しさ、思わず喜んでいると
たまたま幼稚園から連絡がありました。それもあの先生から!
幼稚園に水筒を忘れたという 連絡と共に電話の最後に「あの、私も〇〇なんです。嬉しいです、同じ〇〇ユーザーの方に出会えて!今後ともよろしくお願いします」と 控えめに言ってくださったあの時の嬉しさは今でも忘れません!!!
それから 卒園するまで顔を合わせるたびに思う存分オタクな会話をしました! -
幼稚園の園長先生の畑で柿を食べた思い出
娘が通っていた幼稚園は自由な園風で、幼稚園の敷地内であれば、木に登ったり、花を摘んだりしても良く、泥だらけになっても構わないのです。私はそれをとても気に入っておりました。また、園長先生のおうちの畑で、野菜を育てることが出来たことも、貴重な体験をさせてもらったなと思っています。さつまいもの苗を植えたり、大根の種を蒔いたり、他に田んぼもありましたので、もち米を育てたりもしていました。収穫はいつも豊作で、さつまいもや大根は幼稚園児が持つには重すぎる量を持って帰っていました。もち米は、1月にお餅つきをして、みんなでお餅を食べたりなど、行事が多くて保護者は大変でしたが、楽しかったのを覚えています。収穫を終えたあと、いつも畑で遊ぶ時間があり、みんな泥だらけになって遊んでいました。
秋には園長先生が庭に生えている柿の木から、柿をもぎ取ってくれて、子供たちにあげていました。その食べ方が、今の時代からするととても野生的なのです。服に柿をごしごしと擦り付けて汚れをとり、皮ごとかぶりつくのです。そうして食べなさいと、園長先生が教えてくれるものですから、幼稚園児はみんなそうして食べるのです。今は中学生になった娘は、いまだに柿をそのようにして食べます。柿は皮をむいて食べた方が美味しいと思うので、私は皮ごと食べません。ですが、娘が柿にむしゃぶりつく姿を見ると、とっても美味しそうに見え、また、幼稚園の思い出がよみがえり、ほんのりと幸せな気持ちになります。私では、柿に皮ごとむしゃぶりつく美味しさを教えてあげることは出来ませんでした。園長先生にはいまだに感謝しています。 -
息子が卒園してからの出来事
私の息子はとても泣き虫で幼稚園に行くのが本当に本当に嫌で毎日泣いていました。私も仕事があるので、かわいそうと思いながらも毎日幼稚園に送っていました。 そのたけの幼稚園の先生がとても優しい先生で、私の息子をいつも笑顔で迎えてくれて少しでも負担にならないように気を使いながら私の息子に接してくれました。その先生がいたおかげで無事に通うこともできましたし、他の友達とも仲良く過ごすことができたのだと思います。色々なお遊戯会なのでもいつもそばにいてくれて私のように母親母親のような役割を務めてもらいました。そんな先生とも卒園が近づくたびに息子は別れるのが嫌だと、泣いていた時がありました。笑っちゃうのですがあの先生と結婚するとまで言っていました。小学校にあり先生と会う時はなかったのですが、その後手紙が届き近況を報告し合いながらトーテムある時に先生に会いに行こうと息子と一緒に車で幼稚園に行きました。 少し大人びた息子を見て先生もとても嬉しそうでしたし私も胸が温かくなりました。 幼稚園の先生というのはいつまでも覚えている印象があるので、その幼稚園の先生に私はとても感謝しています。幼稚園の先生というのは本当にすごい仕事だと思います。
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保育園の園長先生との昼食会
私が通っていた小さな保育園では、月に1回ほど、園長先生と1対1でお昼を食べる機会がありました。おそらく、園児全員と順番に会うとちょうど1ヶ月で1周する人数だったのでしょう。自分の順番が回ってくると副園長先生(園長先生の奥さん)に呼ばれて園長室に案内されます。普段あまり会うことのない園長先生と会うのは少し緊張しました。園長室のふかふかした革張りのソファーは保育園児には大きすぎましたが、大人が座る椅子をひとりじめできるのはなんだか特別な感じがして妙に誇らしかったです。そこで園長先生と向かい合って給食を食べながら「元気かい?」「いつもお友達と何して遊んでるの?」などの他愛のない会話をするのですが、そのあいだ、園長先生はずっと私のほうをニコニコと眺めているのです。園児時代の私はとくに深いことを考えておらず「なんで園長先生は笑ってるのかな~、何が楽しいのかな?」と思っていましたが、今思うと園児1人1人の様子をじっくり観察するための機会として設けられた時間だったんでしょうね。本当に子供が好きな方だったのでしょう、私が給食を食べるのを、愛情に満ちた優しい笑顔で見つめていらした園長先生の表情を今でも思い描くことができます。
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幼稚園での運動会や遠足の先生との思いで
ある日の幼稚園の運動会で、私は担任の先生と一緒にリレー競技に参加することになりました。リレーは楽しい競技であり、子どもたちと一緒に走ることでさらなる絆を深める機会となります。リレーの日、私は緊張と興奮で胸が高鳴っていました。担任の先生も笑顔で応援してくれ、子どもたちと一緒にウォーミングアップをして準備しました。スタートの合図が鳴り、私たちは一列になってスタートラインに立ちました。走り出すと、子どもたちの声援や拍手が私たちを盛り上げてくれました。先生とのバトンタッチの瞬間は緊張しましたが、スムーズに行うことができました。チーム全体で力を合わせて最後まで走り抜け、ゴールの瞬間には大きな歓声が湧き上がりました。ゴール後、子どもたちは喜びに満ちた笑顔で担任の先生を囲みました。先生も嬉しそうに子どもたちと抱き合い、お互いにお祝いの言葉をかけました。その時の一体感と喜びは忘れられない思い出です。ある日の幼稚園の遠足で、私たちは先生と一緒に動物園に行くことになりました。子どもたちは大喜びで、ワクワクしながらバスに乗り込みました。動物園では、先生が子どもたちに動物の特徴や生態について教えてくれました。一緒に動物たちを見ながら、先生のお話を聞く子どもたちは興味津々で、時折質問をしたり、感想を言ったりしました。
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海外日本人学校の幼稚園あるある
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マイペースな私を温かく迎えてくれた先生達
私は幼少の頃発達障害と診断され、きっとエレメンタリースクールなら神戸では一般の幼稚園には入園できませんでした。そのような状況でも受け入れてくれたカトリック系の幼稚園に入園しました。自転車で片道30分かかる距離を母親は2往復することもありました。私は集団行動がまったくできず、みんなが合唱したりお絵かきする時も一人で単独行動です。朝登園するとすぐに裸足になり、どうしてか人気の保育園を奈良の大和高田からでも教室に入らずところ構わず走り回っていました。併設されていた教会に忍び込んだり、園庭で三輪車をこぐことが好きでした。そんな私の勝手な振る舞いにも先生方は怒ったり、問題児扱いすることはありませんでした。自由で束縛されないので園の生活は楽しい思い出しかありません。秋の運動会で奮闘したこと、たき火で焼き芋を食べたこと、お泊まり体験ではじめて親と離れて夜を過ごしたこと、貸し切りバスで遠足に行き思いきり遊び回ったこと、全てがいい思い出になっています。この口コミの奈良を保育園からはどこにいっても先生方は本当にいつも優しく温かい目で見守ってくれました。とくに園長先生には気に入ってもらい、仲間達が教室で授業を受けていてもこっそり園長室に入り込んで、電車のシミュレータを見せてもらったり遊び相手になってくれました。園長先生は卒園式で卒園生ひとりひとり名前を詠み上げる時、どうも神戸ならインターナショナルスクールには私の番で思わず声が詰まるほど思い入れがあったようです。幼稚園、先生方本当にお世話になりました。
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連絡ミスによりお迎えに行けない・・・!!
娘が5歳の頃通っていた保育園での有難かった話です。
このエレメンタリースクールなら神戸では少しもその日私は仕事で出張の為、帰りは20:00頃予定でした。
(保育園は延長しても最大19:00まで)近くに住む実母に17:00にお迎えのお願いメールをして、バタバタといざ出張へ。
根管治療でおすすめの東京の歯科医院からは出張先では携帯電話を一切見る事が出来ず、
19:00過ぎに帰りの新幹線のホームでやっと携帯電話をチェックすると、
保育園から着信アリ。なんとなく嫌な予感がして、まず実母に電話をすると何のこと?と・・・
大和高田で保育士を採用するとどんなにもなって慌ててメール確認をすると通信エラーにより送信出来ていなかった事が判明!その時点で私は血の気が引いて真っ青&パニック。
主人は仕事が終わるのが20:00以降になるので無理!頼めない!実母に今すぐ行って!とお願いし、即座に保育園へ折り返しの電話をしたら、
嫌な声なんて微塵も出さずに
「おばあちゃんが来るの、娘ちゃんと一緒に待ってますねー!」
「お母さんも気を付けて帰ってきてくださいね!」と暖かすぎる言葉をもらい、奈良で口コミをする保育園はどうしてもここから半泣きで娘と実母が待つ実家へ行き、
実母に聞くと、結局19:30まで先生が一人で娘と一緒に待っていてくれていました。
しかもその先生、前月に結婚したばかりの新婚・・・!!翌日土下座の勢いで謝り、出張先で買っていたお土産(実母にあげる予定だったもの)
を渡して、
「こんなのいいのにー!娘ちゃん、すっごくいい子で待ってましたよ!先生みんなで頂きますね!」
と言っていただき、事なきを得ました。神戸でもといえるのはインターナショナルスクールへあんなに血の気が引いたのは最初で最後だと思います。
以降、お迎えのお願いをする時は必ず返信をチェックするまで安心しないと心に決めました。
はぁ・・・怖かった。