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私自身が保育園で保育士をやっていた頃のやりがい
私が保育士をしていた頃の嬉しいエピソードは、子どもの前で自分が作ったエプロンシアターや紙芝居を披露し、子どもが喜んでくれた事です。子どもは絵本や紙芝居等の読み聞かせがとても好きです。私は変わった事がしたいと思ってエプロンシアターの本を見て裁縫をして頑張って作りました。裁縫は母から教わりました。時にはミシンも使いました。裁縫を使うのは小学生以来でした。紙芝居は色画用紙で作ったりしました。私が頑張った分、子どもが喜んでくれた事は格段に嬉しかったです。また、子どもが保護者に私のエプロンシアターや紙芝居の面白いエピソードを話したりするので、保護者からも私にお礼を言ってくれたりするので嬉しさも相乗効果です。モンスターペアレントといった事に遭遇する事はありませんでした。今は保育士を引退しましたが、自分自身、何かに対して熱中して作ることが好きであることや裁縫を使えるようになったのはプラスになっています。目的があれば私はそれに向かって熱中して取り組むことができます。そういう事が自己覚知できたのも保育士をやっていたからこそです。それだけでなく子育てや子どもの成長を理解できる機会を見させてくれたこの仕事が一番のやりがいやうれしさと思います。
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先生も?!
息子の通う幼稚園の先生は可愛くて優しい先生で子供たちからもとっても人気。
髪型やメイクも今時の若い女の子という感じでおしゃれな先生でした。
でもある時 園バスに乗る先生が見覚えのあるボールペンを使っているのを見つけて ドキドキ、、、
それは私の大好きなソシャゲのキャラグッズだったのです!私は周りのママ友には隠しているけれど実は生粋のオタクです。
え!?嘘、、いやいや もしかしたら たまたま幼稚園にあったものを使っているだけかもしれない
ボールペンなんてどこにでも売ってるはず、でもそのキャラクターは確実に幼稚園生が見るような内容ではないので子供ウケを狙ったわけでもなさそうで、、
毎日園バスに子供を乗せる時 そのボールペンを見るたびにモヤモヤが募ります。
思い切って声をかけようか、それともオタクバレを恐れて気づかないふりをするか、、
そんなある日息子が帰ってきて
「先生も〇〇らしいよ」(〇〇はそのソシャゲユーザーの呼び名です)とサラッと言いました。
さすがオタクの息子5歳にして英才教育されているので 先生のボールペンを見て声をかけたようです。
「え?!嘘?!そんなっ!!」同志を見つけた喜びと推理の当たった嬉しさ、思わず喜んでいると
たまたま幼稚園から連絡がありました。それもあの先生から!
幼稚園に水筒を忘れたという 連絡と共に電話の最後に「あの、私も〇〇なんです。嬉しいです、同じ〇〇ユーザーの方に出会えて!今後ともよろしくお願いします」と 控えめに言ってくださったあの時の嬉しさは今でも忘れません!!!
それから 卒園するまで顔を合わせるたびに思う存分オタクな会話をしました! -
幼稚園の園長先生の畑で柿を食べた思い出
娘が通っていた幼稚園は自由な園風で、幼稚園の敷地内であれば、木に登ったり、花を摘んだりしても良く、泥だらけになっても構わないのです。私はそれをとても気に入っておりました。また、園長先生のおうちの畑で、野菜を育てることが出来たことも、貴重な体験をさせてもらったなと思っています。さつまいもの苗を植えたり、大根の種を蒔いたり、他に田んぼもありましたので、もち米を育てたりもしていました。収穫はいつも豊作で、さつまいもや大根は幼稚園児が持つには重すぎる量を持って帰っていました。もち米は、1月にお餅つきをして、みんなでお餅を食べたりなど、行事が多くて保護者は大変でしたが、楽しかったのを覚えています。収穫を終えたあと、いつも畑で遊ぶ時間があり、みんな泥だらけになって遊んでいました。
秋には園長先生が庭に生えている柿の木から、柿をもぎ取ってくれて、子供たちにあげていました。その食べ方が、今の時代からするととても野生的なのです。服に柿をごしごしと擦り付けて汚れをとり、皮ごとかぶりつくのです。そうして食べなさいと、園長先生が教えてくれるものですから、幼稚園児はみんなそうして食べるのです。今は中学生になった娘は、いまだに柿をそのようにして食べます。柿は皮をむいて食べた方が美味しいと思うので、私は皮ごと食べません。ですが、娘が柿にむしゃぶりつく姿を見ると、とっても美味しそうに見え、また、幼稚園の思い出がよみがえり、ほんのりと幸せな気持ちになります。私では、柿に皮ごとむしゃぶりつく美味しさを教えてあげることは出来ませんでした。園長先生にはいまだに感謝しています。 -
息子が卒園してからの出来事
私の息子はとても泣き虫で幼稚園に行くのが本当に本当に嫌で毎日泣いていました。私も仕事があるので、かわいそうと思いながらも毎日幼稚園に送っていました。 そのたけの幼稚園の先生がとても優しい先生で、私の息子をいつも笑顔で迎えてくれて少しでも負担にならないように気を使いながら私の息子に接してくれました。その先生がいたおかげで無事に通うこともできましたし、他の友達とも仲良く過ごすことができたのだと思います。色々なお遊戯会なのでもいつもそばにいてくれて私のように母親母親のような役割を務めてもらいました。そんな先生とも卒園が近づくたびに息子は別れるのが嫌だと、泣いていた時がありました。笑っちゃうのですがあの先生と結婚するとまで言っていました。小学校にあり先生と会う時はなかったのですが、その後手紙が届き近況を報告し合いながらトーテムある時に先生に会いに行こうと息子と一緒に車で幼稚園に行きました。 少し大人びた息子を見て先生もとても嬉しそうでしたし私も胸が温かくなりました。 幼稚園の先生というのはいつまでも覚えている印象があるので、その幼稚園の先生に私はとても感謝しています。幼稚園の先生というのは本当にすごい仕事だと思います。
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お迎えの先生
私は子供好きですが、独身で子供がいません。ですのでよく姉夫婦の家に遊びに行き姪っ子と遊ぶ事が多くなりました。姪は今年から幼稚園にあがりましたが、嬉しいことにまだ私に懐いてくれています。ある日姉から連絡が入り、「ちょっと、子供迎えに行ってもらっていい?」との事でした。私は了承し、迎えに行く途中思いました。「あれ、姪は分かるけど、先生達は自分の事を分かるかな?怪しい人だと思われないかな?」と少し不安に思い姉に確認の連絡をしましたが、急用だったようで電話には出ませんでした。姪を待たせるわけにも行かないので、意を決してそのままお迎えに幼稚園に行きました。いつもの時間より大分遅れてしまっていたため、玄関で先生と手を繋いでうつむいている姪が目に入り急いで玄関に向かい、「遅れて申し訳ありません。親が急用になり、急遽私が迎えにきました」と急いで挨拶をすると、先生は少しきょとんとした様子で、「あの、お父さん、、、ではないですよね」と困惑したような顔をしていました。当然です。すると「あ、○○(私の名前)!遅い!」と私の手を握ってきました。姪は私の事を下の名前で呼ぶのですが、先生はそれを見てなぜか安心した様子で、「あ~パパさん、よく聞いてますよ」と笑顔で話してくれました。先生は続けて「姪っこちゃんはいつも園では、『私パパ2人いるの、○○(私の名前)っていうの』って言って遊んだこととかよく教えてくれるんですよ。本当に仲が良いんですね」と話してくれました。姉は相当急いでいたようで、園に連絡をいれていなかったようだったので、改めて私から姉に連絡を入れ、叔父が迎えに行く事を先生に確認してもらいました。一応身分証明書も確認してもらい、帰り際姪が「先生さようなら」と言うと先生が、「はい、さようなら、お父さん迎えに来てくれてよかったね」と言ってくれました。私も挨拶を済ませると、姪に「ありがとう」と伝えましたが、姪は何で?と言った表情で帰ってから何して遊ぶのかをひたすら考えていました。忘れられない一日になりました。
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幼稚園と保育園の転園が産んだ第二の親
引っ越しがかさなり幼稚園と保育園に通っていた時の嬉しかった思い出は、幼稚園では自宅が遠い場所だったこともあり、両親が毎日車で幼稚園まで送ってくれていたのですが、共働きになってからは幼稚園までは、近所のおじさんが連れて行ってくれていました。そんな家庭環境をしった幼稚園の先生方が日替わりで朝早く自宅まで車で迎えに来てくれてくれた事です。先生方の日替わりの運転や幼稚園までの道のりが違うことも、当時は楽しく小さな冒険をしている感覚でした。また車の中で先生方が朝ごはんのお弁当を作って来てくれてその味が、毎日変わる度に朝からレストランに来ている様で、毎日が嬉しかったです。そうして近所の保育園に転園してからも先生方が協力してくれました。転園する時に両親が残業の事を話していたのだと思います。なので毎日の様に保育園を最後に出るという保育園の過ごし方だったのです。しかし夜遅くなっても保育園の先生方はいつも残って優しく見守ってくれていたのです。時には夕飯のお弁当をくれたり、お菓子を渡してくれて喜ばせてくれたりしてくれたのです。両親が迎えに来るまでの時間を保育園の先生方が協力をしあいながら残業をして注いでくれた第二の親の様に愛情を注いでくれたのです。ケガをした時には病院まで付き添ってくれたり、ケンカをしたした時には怒ってくれて本当に親の様な形をとってくれていました。小さい時期のわずかな期間で愛情をあの時程注いでくれた方々に感謝をしています。
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わが子の大好きな保育園の先生
わが子は人との関係性や環境への適応が苦手な部分があり、入園当初から保育園に行きたくないと泣きさけんだり、運動会などのイベントごとでは人に見られたくないなど、普通の子供たちとの反応は明らかに違いました。周りの保護者たちはどう思っていたかはわかりませんが、私たちは子供の成長を信じていました。日常の生活の中での成長も見ていてわかっていましたし、思うやりのある子に成長していってくれればいいと思っていました。周囲の子たちは小さいころから様々な習い事をしていて、他の親御さんの子供への期待と教育への熱心ぶりには私たちはなかなかついていけませんでした。勉強の能力や人よりすごくなる、他の子に負けないように一生懸命頑張っているようで可哀想に思いました。子供
子供らしくそのときにしかできない体験、遊び、色々なことを感じていってほしいと思ったからです。
そのように私たちが考えられるようになったのも1人の保育園の担任の先生がいつもうちの子は頑張っていますよ!こんなことしてくれましたよ!と卒業するまでの間、わが子をみていてくれた影響が大きかったです。先生はいろんな子がいます。勉強に得意不得意はあるけど、わが子のことを私たちと同じように信じて、子の優しい一面であったり悩んでいる姿を理解してくれていました。わが子もその先生にだけは心を開いて恥ずかしながらもいろんなことに挑戦して無事、小学生になりました。勉強はあまり好きではないでしょうが学校生活を楽しんでくれています。 -
園児と親と先生の良い関係が続く幼稚園
自分が幼稚園児の頃ですから随分と昔の話です。その日は、工作をする日で、多くの園児たちが楽しみにしている日でした。と言うのも、工作をする日は、天気が良ければ外で工作をするので、室内で過ごすことと違って近所の広場まで出かけられるのです。その日の工作は、画用紙を使ってころころと風を受けて疾走する車輪を作るものでした。みんな熱心に教わった通りに作り上げ、色を塗って、個性豊かな工作が出来上がりました。さて、ここからがみんなのお楽しみです。自分で作り上げた車輪で競争し、一番よく転がった人には賞が与えられるのです。全員がその賞欲しさに頑張って作り上げたのです。全員が位置について、合図を待って、手作りの車輪を一斉に転がします。動力は自然に吹く風だけが頼りです。そよそよと吹く風を上手に受けることが出来れば、かなりのスピードで転がり続けます。幼稚園の先生の合図で一斉に手を離れた車輪が転がり始めます。上手く風を受けることのできない大半の車輪は途中で止まってしまいますが、自分の作った車輪は、どこが良かったのか、ものすごい勢いでころころと転がり続け、自分で走って追いかけても追いつかないほどのスピードで走っていきます。ダントツの走りで優勝間違いなしなのですが、あまりに勢いがついてどこかに行ってしまいました。せっかく作って優勝したのに現物が手に残っていないことが本当に残念でした。しかし、暫くして、ゼーゼー言いながら担任の先生が追いかけて行ってくれて、はるか向こうの空き地に転がっていた車輪を見つけて持ってきてくれたのです。本当に嬉しくて、先生に感謝しました。帰宅してその旨を親に伝えるとすぐに幼稚園に出向いて感謝していたのを覚えています。園児もその親も先生も良い関係が続く素敵な幼稚園だったと今更ながら思っています。
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一年間お世話になった幼稚園の先生
私の娘は、幼稚園に通っているのですが、一年間お世話になった先生が居ます。年少の時に担任をしてくれた先生で、その先生は新任の先生なのですが、とてもしっかりとしていて子どもの事を見てくれていて、子どもの良い部分を伸ばしてくれる先生です。年少での一年が終わり、終業式に子どもが先生からのお手紙を持って帰ってきました。そのお手紙には、子どもだけではなく親のことも考えてくれた文章で、とても心のこもったお手紙を貰いました。子どものことをしっかりと見てくれているだけではなく、親にまで気遣いをしてくれていて、本当にこの先生に一年お世話になって良かったなと思いました。私の子どもは、感覚過敏の所があり、よく感情的になってしまい先生にはたくさんご迷惑をかけたと思うのですが、そんなことは全く書かずに、子どもが他のお友達と一緒に楽しく過ごしてくれて、先生もパワーを貰えたと書いてくれていて、読んでいてとても心が温かくなりました。幼稚園の先生は、子供の保育から、その後にもいろいろな制作物を準備してくれたりと忙しい中でもいつも笑顔で対応をしてくれていて、私自身、親であっても毎日子どもに笑顔で接することができていない部分があるので、見習いたいなと思いました。先生の温かさ、ありがたさを感じる一年になりました。
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怖いと思っていた幼稚園の先生に褒められたまさかの出来事
私が幼稚園の年中の時に担任だった先生は、とてもけじめのあるしっかりした雰囲気の先生でした。当時の私にとっては「大好きだけどちょっと怖い」先生だったのです。そのため、私が何か行動をする時には先生に怒られないように気が張っていたこと、なんとなく近づきがたい雰囲気があったことを今でも覚えています。そんなある日、自由遊びの時間に私は他の友達と一緒に先生の周りに集まり、みんなでたわいもない話をしたり、手をつないでみたりとのんびり過ごしていました。すると先生がふと「肩が凝ってるなー」と言ったのです。それを聞いた私は「先生疲れてるんだ!」と思い、一生懸命に先生の肩を揉んだり、手のひらをマッサージしたり自分なりに先生の疲れを癒す方法を考えてあれこれ試してみました。私の行動を微笑みながら見ていた先生は「マッサージ上手だね!」とすごく褒めてくれました。普段はきびきびとした行動や言動が多い先生だったので、あんなに笑顔で褒めてくれたことがとても嬉しく、幼稚園でのたわいもない出来事なのに今でもはっきりと覚えています。今思えば、人のために自分が何かできることがあるということや、人の役に立つことの喜びを子どもながらに強く感じることができた貴重な体験でもあったなと感じています。