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常に側にいて見守ってくれた保育士さんは頼もしかった
保育士さんの方々は親切にしてくれたから良い思い出しかないです。やっぱり子供が好きだから保育士さんは優しかったのだと思います。めったに怒ることがなくて温厚だった保育士さんは理想の大人だと感じていました。子供に合わせた言葉遣いをしてくれたからいつも話しやすかったです。毎日気分が良かったから行くのが楽しかったです。まるで家庭にいるような感覚になれたのも親身に世話をしてくれた保育士さんのおかげです。自由に好きなことをして遊べたから、最高の時間を過ごせました。家からは少し離れたところにあったのですが親に送り迎えをしてもらっていました。親とも仲良く話していた保育士さんは凄く性格の良い人でした。常に笑顔で私と遊んでくれてありがたかったです。私の安全のことをしっかり考えてくれていることが子供ながらによく分かっていました。保育士さんが常に側にいてくれるという安心感があったので、好きなだけ走り回ることができました。他の園児とけんかした時はすぐに仲裁してくれたから仲直りがきちんとできてよかったです。私は恥ずかしがり屋だったので最初は保育士さんと上手く話せませんでした。今思えばもっと保育士さんと触れ合いたかったです。新しく入ってきた園児がすぐに溶け込めるように気を使っていた保育士さんのことをずっと忘れられないです。
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幼稚園の先生と、子供が成人した今も繋がっていること
息子が幼稚園のとき、暴れん坊で、よく幼稚園に呼び出されていました。初めのころは大変だったのですが、息子が正義感から行動を起こしていることを分かって下さり、担任の先生は共感して頂き、とても仲良くなることができました。クリスマス会の企画について父母会で相談した時に、私と私の父で参加し、父はサンタクロースの衣装、私はなんと戦隊ものの黄色いスーツ(キレンジャー的な)を着て、劇をする、という企画が受けて、担任の先生を始めとして幼稚園の皆さんと一緒に作り上げることができ、とても楽しかった思い出です。その後、息子は卒園しましたが、娘が同じ幼稚園に入り、やはり暴れていましたが、温かく見守ってくれました。娘が卒園した後も、近所なので、よくお食事にいき、今度は女性として先輩である私の経験に頼ってくれる様な仲になりました。先生が結婚、出産した時にも相談してくれ、お話を聞いてあげることぐらいしかできないのですが、今では、息子が就職活動しており、娘は就職活動の準備をしているのですが、今度は就職活動の先輩として、先生の経験談をお聞きしたりしています。頼って、頼られて、の繰り返しですが、今でも素晴らしい関係で繋がっていることがとても嬉しく感じています。
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発達障害を疑われた息子の未来を変えてくれた先生との出会い。
僕の息子の話です。
息子は、産まれてすぐから睡眠時間が短く30分~1時間置きに起きてしまいます。お昼寝もあまりせず眠気と戦って泣き叫ぶ日々。寝る時も同様、眠気と戦い泣きわめきます。抱っこでしか寝てくれず、泣き疲れて寝てくれるのをひたすら待つこともありました。とにかく手がかかる子です。言葉も遅めで歩くのもオムツがとれるのも遅い…音に敏感で大きな音が鳴ると恐怖でパニックを起こす。健診に行くたびに発達障害の疑いがある。妻の身体が限界な事もあり、2歳児健診で保育所に入ってみてはどうだろうと提案をされた。すごく不安でした。僕よりも妻が凄く不安だったと思います。自分たちが見てないところでちゃんとやっていけるだろうか…。妻の状態を考えると通わせるべきだと言う事になり、いざ登園。行きも帰りも玄関で大泣き。どんなに疲れても昼寝をしないしずっと抱っこだと言う。これが1ヶ月続いた時、担任の先生に呼び出された。「専門の機関に行った方がいい!この子は発達障害か何かの障害だ!!」。すごくショックでした。そして悔しかった。そこで保健師を通し児童相談所を通して専門の先生に診てもらう事、数回。色々なことを言われました。そこで更に妻のメンタルがボロボロになって行きました。診断結果を保育所に渡したタイミングで先生が新しくい方にかわりました。この先生が息子を変えてくれた方です。息子は、先生が大好きです。周りからの評判はあまりよくなかった先生ですが、息子が懐いた先生はこの人だけでした。人見知りもすごくする息子が懐いた人なら信じてみようと思いました。その日から、息子は玄関で泣くことが一切無くなりました。言葉も沢山話せるようになり、一人で出来る事が増えました。オムツもすぐとれ、昼寝もするようになり劇的に変わったんです。しかし先生も発達障害が気になると言うので支援を受けるよう言われました。この先生は全てをサポートしてくれると言ってくれたので心強かったのを覚えています。息子が6歳の時、通っていた保育所が閉所になり違う保育園に通うことになりました。入学前の一年間を新しい先生でスタートになるのが心配でした…。閉所と同時にまさかと思いましたが元担任の先生も赴任してきたんです!!息子の担任じゃなくても息子が頼れる人が居るだけで安心しました。周りに同じ人が担任になるのは異例な事だと言われたので高望みはしませんでした。担任発表が知らされた時は驚きました。また同じ先生がついてくれることになるなんて。残された1年の間に、これから先困らないようと色々な事を教えてくれてました。この先生のおかげでスムーズに一年生になる事ができ今の息子があるんだと思っています。心から感謝しています。 -
喜んでくれた幼稚園の先生
私が幼稚園の頃に先生との嬉しい経験は、運動会の練習の時のことです。大きな棒をお友達4人で持って走り、コーンをぐるりと一周してゴール地点まで走るという競技だったのですが、私は一番外側だったのでコーンを中心に折り返すときに余計に急いで走らなければいけません。焦ったのと棒を離してはいけないという思いで、途中でズサーっと派手にこけてしまい、膝から下を擦りむいてしまいました。その時は痛さより恥ずかしさでしょんぼりしたのを覚えています。職員室に連れて行ってもらい、擦りむいた部分を消毒してもらいました。その時、園長先生が私の目線まで小さくかがんで優しく「大丈夫よ」と言ってくれたのを覚えています。しかし翌日、翌々日と運動会の練習を休んでしまいました。その次の日はもう運動会本番でしたが、またこけてしまうのではないかという恐怖で不安でした。「でも明日はもう本番だし…」と小さいながらにも決心を固めて練習に合流した時、隣の組の先生が「あっ!〇〇ちゃん!来たね!よーし!がんばるぞ!」と言ってとても喜んでくださり、抱っこしてくれました。その先生と言葉を交わすのはその時が初めてだったので妙に照れてしまい、顔が真っ赤になりました。そしてドキドキが止まらぬままスタートの旗が上がり、それはもうとにかく一生懸命に走りました。何も聞こえず自分の荒い呼吸だけが耳に残っています。そして無事にこけることなく走ることができました。あの時、抱っこして大喜びしてくださった先生にとても感謝しています。
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長男のイヤイヤ期に保育園の先生に言われたこと
長男は2歳から保育園から行ったのですが、入園後しばらくしての面談で先生に言われたことがとても心に残っています。2歳はかわいい盛りではあったけれど、イヤイヤ期がひどく育児で落ち込むこともよくありました。お父さんとはお風呂に入るのに、わたしとだと入ってくれない。夫の方がイヤイヤで機嫌が悪くなった息子のあしらいが上手い。1人目の子どもということもあり、自分は育児が下手なんだ、頑張っているのにいいお母さんになれない。育児について自信をなくすことが多く、もしかしたら面談の時も緊張した暗い顔をしていたのかもしれません。そんな私に先生が教えてくれたのが、保育園での長男のリアルな笑い話や先生から見た長男の姿でした。転んでしまったお友達の服についた砂を払おうとして、服をはたきすぎてお友達を泣かせてしまった。「抱っこして」とは言いに来ないけど、他の子を抱っこしていると遠巻きに見ていて、「抱っこしようか?」というと嬉しそうに抱っこされる意地っ張りなところがある等々。育児について直接アドバイスをもらったわけではないけれど、自分の他にも長男をずっと見ててくれる人がいる、ということがすごく嬉しくて、いままで張りつめていた気持ちが一気にほぐれました。最後に「大変な時期だとは思いますが、一緒に頑張りましょう」と言っていただいたのも、辛いときの心のお守りになりました。
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子供の心を観てくれた先生
子供は3歳の元気な男の子です。ただ、人一倍にこだわりが強いせいか親の言うことも聞いてくれません。うちは共働き世帯ですのでどうしても保育園に預ける必要がありました。当初、こだわりが強すぎるあまり、迷惑をかけるのではないか?との不安がありました。保育園の先生にうちの子供の特徴、普段どんなことをしているのか、好きな食べ物などを細かく書いたメモをお渡ししました。ところが「必要ありません」と一言。何でだろうかと不安に思いました。まずは一週間、預けてみて、合わなければ保育園を変えれば良いとも考えていたのです。しかし、一週間後、子供の態度が明らかに変わっていました。というのも、こだわりが強すぎて大変だった息子が自分から進んで色んなことに興味を持ち始めて、別人のようにこだわりがなくなっていたのです。これには妻とも驚いてしまいました。後日、先生に保育園での息子の様子を聞く機会があったので話を聞きました。すると一言、「子供の行動に目を向けるのではなく、心に目を向けると色んなものが見えるんです。」と回答をいただきました。私達は子供はこうあるべきという型に嵌めて見ていたのですが、先生は型に嵌めるのではなく、子供の思うままに行動させてくれ、本心を見抜いていたのです。それからは先生に指導を受けながら、私達も子供と共に成長していくことを決意しました。
先生には大事なことを教えていただけて感謝の思いでいっぱいでした。 -
幼稚園の頃の思い出
私が幼稚園に通っていたのは15年以上前の話ですが、当時のことを思い出しながら書いていきます。印象に残っている思い出として3つあります。1つ目は縄跳びをしていた思い出です。幼稚園生ですから前飛びしかできませんでしたが、友達と回数を競い合っていたのを覚えています。先生に飛び方を指導してもらい、毎回回数を数えてもらっていました。たくさん練習をしていくうちに回数もたくさん飛べるようになり、卒園式の前日、最後の縄跳びを行いました。先生に数えてもらった結果、約500回とこれまでの最高回数を飛ぶことが出来ました。卒園後も先生と年賀状等でやり取りをする際には縄跳びの話題が毎回上がっており、よい思い出となっています。2つ目は毛糸でマフラーを作った思い出です。今考えると当時は手先が器用だったと感じます。牛乳パックを使用してマフラーを作っていました。一時期マフラーを作ることにはまっている時期があり、毎日先生と一緒に編んでいたことを覚えています。毛糸の色もたくさんあったので、色が違うものを1つずつ家族に作成し、プレゼントしました。先生にもよく作ったねと褒めてもらったことを覚えています。3つ目は遠足の思い出です。幼稚園児なので自由に行動してしまい、先生に迷惑をかけてしまいました。しかし、先生は怒ることなく、遊ぶことを優先してくれました。とても良い先生でした。私が卒園してからしばらくしてご結婚し、退職されてしまったようですが、この記事を書くことで、連絡を取り、当時の思い出について話してみたいと思いました。
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卒業時に大好きな先生から
私の子どもがお世話になった幼稚園を卒業する時の話です。私の娘は小学生になる喜びと不安、そして何よりも大好きなお友達や大好きな先生とのお別れの気持ちでいっぱいだったようです。いざ卒園式を迎えると寂しさでいっぱいになったようで朝から泣き出してしまいました。小学校でも一緒になるお友達はたくさんいたようなのですが、クラスの先生とのお別れが一番寂しかったようです。卒園式を終えていよいよお別れの時でした。先生が子どもたちみんなにお手紙と手作りのおまもりをプレゼントしてくれました。子どもたちはみんな喜んでいて、私の娘も大喜びでした。あれから数か月が経ち、私の娘は元気に小学校に通っています。そしてランドセルにはあのおまもりがずっとつけられています。娘は、先生からもらったおまもりはずっと宝物で、これからもずっと一緒にいるんだと言っています。私は仕事で忙しく、あまり幼稚園の行事には参加できず、先生とはあまり関りがありませんでしたが、園児一人一人を大切にして、みんなに本当に大切なものをくれた先生が娘の先生になってくれて本当に良かったと思います。私自身、忘れかけていた大切な気持ち、思いやり、感謝、そして出会いの尊さを忘れずに生きていきたいと思います。私たち家族が先生からもらった、大切な宝物の話です。
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ママ友の明日香ちゃんのママはNGで、幼稚園の伊東先生はOK!
娘がまだ幼稚園に通っていたころの話です。タクシー運転手の私は朝勤務から帰ってくると、娘を近くの幼稚園に送っていくのが日課でした。徹夜明けの眠い目をこすりながらでしたが、とても楽しい仕事でした。最初は手をつないで、商店街まで行って、商店街に入ると娘を肩車します。目線が高くなるので、娘はキャッキャッと大喜びです。それでも女の子としてのプライドがあるのか、幼稚園のお友達の姿を発見すると、私の身体を樹木から降りていくように滑り降ります。女の子の肩車は恥ずかしいのでしょうか。それとも誰かにはやされたのか。いずれにしろ、再び手をつないで幼稚園に向かいます。
はたして、幼稚園の門に到達すると、右から左から仲良しのお友達の笑顔に遭遇します。「おはよう」、「おはよう」と大きな声で朝の挨拶です。これもとても楽しいルーティンです。娘もとてもうれしそうです。さあ、幼稚園の教室の前に着きました。ここで娘とお別れです。手を放して、「バイバイ」と左右に振ると、娘は何か物足りなそうです。手招きしています。そばによると、耳元で呟きました。「イヌイットのあいさつ!」そう、最近出勤前に娘と別れるときは、お互いの鼻の頭を擦り合わせて「イヌイットのあいさつ~」とパフォーマンスしていたのです。娘との「イヌイットのあいさつ」が終わると、娘は今度はお友達の明日香ちゃんと「イヌイットのあいさつ~」してます。明日香ちゃんは私の手を引っ張って、「ママも!」と言っています。でも、明日香ちゃんのママはとはちょっと。すると、幼稚園の伊東先生が間に入って来て、私と「イヌイットのあいさつ~」。ほんとに楽しい先生だ。 -
母の日の合作の似顔絵
近所の幼稚園に行っていたのですが、
急に保育園に転園することになった時の担任の先生の話です。
急な転園の理由は母の末期ガンが発覚したことでした。
当時は五歳で、人見知りでなかなか周りに馴染めずにいる私に、マンツーマンで紙芝居を読んでくれたり、ぬいぐるみを子供に見立てておままごとをしてくれてくれたり、とても気にかけてくれました。数ヵ月後母は亡くなりました。
お葬式の時五歳だった私には、母の死ということが理解できておらず、祭壇にある母の写真を見て、「なんでお母さんの写真があそこにあるんだろう?」と不思議な気持ちでいました。
保育園の先生がお焼香に来てくれました。
私は「あ!先生だぁ」と思ってうれしい気持ちになりました。先生はいつもの笑顔ではなく、涙を流していました。
「何か怖いことが起こっているのかなぁ」と
とても不安になったことを憶えています。母の入院中から、兄と私の面倒をみるために、祖母と同居することになりました。
母の死から2ヶ月後のこと、保育園で母の日へ向けて、お母さんの似顔絵書いてプレゼントしましょうと目の前に画用紙とクレヨンが用意されました。
「お母さんいないしどうしよう?」
何もできずに固まってしまいました。
周りはどんどん書き進めていくのに何もできないことに焦った私は「お母さんいないんですけど」
と担任の先生に言いました。先生は
「おばあちゃんの顔を書くのはどうかなぁ?
ご飯作ってもらったりしてるんでしょ?」母が死んで間もないのに、お母さんの似顔絵を書きましょうと言われた事は、かなり辛かったと今でも憶えています。
でも、先生が一緒にお婆ちゃんの絵を書いてくれたことが嬉しくて、傷ついた心が少し癒えたことも憶えています。