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子供の心を観てくれた先生
子供は3歳の元気な男の子です。ただ、人一倍にこだわりが強いせいか親の言うことも聞いてくれません。うちは共働き世帯ですのでどうしても保育園に預ける必要がありました。当初、こだわりが強すぎるあまり、迷惑をかけるのではないか?との不安がありました。保育園の先生にうちの子供の特徴、普段どんなことをしているのか、好きな食べ物などを細かく書いたメモをお渡ししました。ところが「必要ありません」と一言。何でだろうかと不安に思いました。まずは一週間、預けてみて、合わなければ保育園を変えれば良いとも考えていたのです。しかし、一週間後、子供の態度が明らかに変わっていました。というのも、こだわりが強すぎて大変だった息子が自分から進んで色んなことに興味を持ち始めて、別人のようにこだわりがなくなっていたのです。これには妻とも驚いてしまいました。後日、先生に保育園での息子の様子を聞く機会があったので話を聞きました。すると一言、「子供の行動に目を向けるのではなく、心に目を向けると色んなものが見えるんです。」と回答をいただきました。私達は子供はこうあるべきという型に嵌めて見ていたのですが、先生は型に嵌めるのではなく、子供の思うままに行動させてくれ、本心を見抜いていたのです。それからは先生に指導を受けながら、私達も子供と共に成長していくことを決意しました。
先生には大事なことを教えていただけて感謝の思いでいっぱいでした。 -
幼稚園の頃の思い出
私が幼稚園に通っていたのは15年以上前の話ですが、当時のことを思い出しながら書いていきます。印象に残っている思い出として3つあります。1つ目は縄跳びをしていた思い出です。幼稚園生ですから前飛びしかできませんでしたが、友達と回数を競い合っていたのを覚えています。先生に飛び方を指導してもらい、毎回回数を数えてもらっていました。たくさん練習をしていくうちに回数もたくさん飛べるようになり、卒園式の前日、最後の縄跳びを行いました。先生に数えてもらった結果、約500回とこれまでの最高回数を飛ぶことが出来ました。卒園後も先生と年賀状等でやり取りをする際には縄跳びの話題が毎回上がっており、よい思い出となっています。2つ目は毛糸でマフラーを作った思い出です。今考えると当時は手先が器用だったと感じます。牛乳パックを使用してマフラーを作っていました。一時期マフラーを作ることにはまっている時期があり、毎日先生と一緒に編んでいたことを覚えています。毛糸の色もたくさんあったので、色が違うものを1つずつ家族に作成し、プレゼントしました。先生にもよく作ったねと褒めてもらったことを覚えています。3つ目は遠足の思い出です。幼稚園児なので自由に行動してしまい、先生に迷惑をかけてしまいました。しかし、先生は怒ることなく、遊ぶことを優先してくれました。とても良い先生でした。私が卒園してからしばらくしてご結婚し、退職されてしまったようですが、この記事を書くことで、連絡を取り、当時の思い出について話してみたいと思いました。
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頭が下がる保育園の先生の記憶力
我が家には子供が3人おり、いずれも同じ保育園に通っています。一番上の子供が入園することになり、当時は仕事の関係で私が朝の出勤ついでに保育園に送り、妻が仕事帰りに保育園に迎えに行くといった役割分担をしていました。朝の保育園の送りでは、夕方に迎えに行く時と違って仕事が控えていますので、そそくさと荷物を置いて来園時間を記録し、先生に挨拶して保育園を出ます。そのため、先生との会話は一言二言で終わる場合がほとんどです。正直先生の顔と名前が一致するのは、長男の担任の先生のみ(申し訳ないです…)。そんな中、2番目の子供が入園する頃には仕事が多忙となり、保育園の送り迎えはいずれも妻にお願いすることになって、2ヶ月ほど保育園に行く機会はなくなりました。その後、妻の体調不良によって本当に久しぶりに保育園に行った際には、荷物の置き場所も変わっていたりして子供に聞かないと分からないような状態になっていたのですが、先生から「○○君のお父さん」と先生から声をかけられ、色々と丁寧に教えてくださいました。その時は子供と一緒にいたのであまり深く考えていませんでしたが、後から考えると子供が靴を直しに行っている時に廊下で一人で先生と会った時も、顔も知らない新しい先生と会った時もちゃんと「○○君のお父さん」と呼ばれていたことに気づきました。保育園の先生方は、子供たちの名前を間違えるところを見たことはありませんし、その親まで覚えるとなると相当な大変さがあることと思いますが、一人の子、一人の親として認識してもらうことにとても有難く感じた出来事でした。
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保育園や幼稚園で先生に言われた想い出深い言葉
保育園の頃、とても人見知りでいつもシクシク一人で泣いていました。そんな時、保育園の先生がいつも抱っこして頭を撫でてくれたことを覚えています。
そして、保育園から幼稚園に入ったのですが、幼稚園の頃にも人見知りは続いてました。さすがに幼稚園ともなるともう少し言葉を話すことができます。ある時、一人でお砂場遊びをしていたのですが、先生がやって来て一緒にお城を作ってくれたのです。この時「○○ちゃんはお砂遊びがとても上手だね」と言ってくれました。物凄く嬉しかったことを覚えています。
今思うと、そのほとんどを先生が作ってくれたように感じられるのですが、当時は自分が作ったという気持ちでいたのです。それを褒められたので自信が湧いてきました。その日からというもの、せっせとお砂場遊びでいろいろなものを作っていると、だんだん他の園児たちも混ざって遊ぶようになりました。誰かと一緒に何かを作るというのはとても楽しいものです。私もだんだんとお友達と話すようになり、卒園する頃にはたくさんのお友達ができていました。
当時の幼稚園の先生は一人一人の良いところをきちんと見ていたのだと思います。そして、さり気なく良いところを伸ばしてくれたのだろうなと思いました。 -
幼稚園の先生との優しき時間
幼稚園に3年くらい通っていました。毎日楽しくお友達と遊んでいたような気がします。その中でも1番好きだったのは紙芝居を見るお時間でした。「今回は何のお話かな?」とわくわくしながらいつも楽しみにしていました。おとなしくて内向的な子どもだった私は、先生と積極的にお話しした記憶はあまりありません。なので先生が話しかけてくれた時はとても嬉しかったことを覚えています。ある日のこと、紙芝居をしまっているお部屋の前で、扉のガラスのところに私がおでこをくっつけてそのお部屋の中にある紙芝居をガン見してのぞいていたところに先生が通りました。おそらく先生は驚いたと思うし、「この子は一体何をしているのだろう?」と思ったと思うのですが、先生は優しく「紙芝居好きなの?」とおっしゃいました(←この想像力、さすがです!)。私は小さく「…うん」と答えました。先生は「そう!」とおっしゃって通り過ぎました。その数時間後、その日は紙芝居のお時間はない日だったのですが、先生が紙芝居のお時間を作ってくださいました。私の方をみて優しく微笑みながら。それがとても嬉しかったです。今思えばスケジュールを変更するのは大変だったろうと想像できます。こうして文章を書きながら当時のことを思い出し泣きそうになっています。先生、あの時は本当にありがとうございました。
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手の甲に笑うアンパンマン
うちの娘は1歳から保育園に通い始めました。新型コロナウィルスの影響で、生後からほとんど外出ができず両親以外との人間関係が乏しい状態での登園開始でした。性格も引っ込み思案なため、先生や園児との集団生活にうまく馴染めるか心配していました。やはり登園開始1か月程はあまり積極的に遊ぶことができず、先生に抱っこされて過ごすことが多いと連絡を受けていました。そんなある日娘を保育園に迎えにいくと片言で「あん、、あんマン」といいながら手を差し出してきました。よく見ると娘の手の甲にボールぺんで上手アンパンマンが書かれていました。先生に訪ねると、仕事中の先生に娘が近づいていきボールペンを不思議そうに見ていたので、楽しんでもらおうと手の甲にアンパンマンを書いてくれたそうです。とても愛らしく笑うアンパンマンが書かれており私も微笑んでしまいました。娘はその経験が本当に嬉しかったようで、家に帰ってからも何度も私に見せてくれましたし、その後1週間は保育園に行く度に先生に書いてもらっていました(笑)。きっと娘は先生からアンパンマンのイラストと共に「愛と勇気」をもらったのだと思います。その日をきっかけに園でも積極的に遊べるようになり、2歳になったいまでも保育園を楽しみに日々生活しています。
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幼稚園で先生から教えてもらった人間関係。
幼稚園の頃、私は人見知りが酷い性格でした。
両親もそんな私の性格を改善しようと、親戚の同年代の子供に会わせていました。
しかし、意思の疎通が上手くいかずに泣いてしまうことが多かったそうです。
そんな私にも、幼稚園で仲の良い友達ができました。
女の子で、遊びや趣味の価値観が似ていることから意気投合。
それを良く思っていない男の子から、少しいじわるをされることがありました。
皆で運ぶ大きい机を私1人で運ぶように言う男の子。
だんだんと幼稚園に通うのが億劫になった頃、先生から話しかけられました。
「なんで最近ご飯を食べなくなったのかなって、心配なんだ。」
気づけば幼稚園で支給される給食を半分以上残していました。
「だって、A君がいじわるするから。Bちゃんと遊んじゃダメなのかなって。」
そう言うと、先生からはこのような話をされました。
自分が仲良くなりたい友達と仲良くすれば良い。
一緒にいて合わないな、ちょっと疲れるなと思う友達とは無理してまで付き合わなくて良い。
大人になった時、そのような人間関係の選択はもっと大事になる。
大人になった今、先生の言葉の意味がよく分かるようになりました。
大人になれば友達のみならず、恋人や配偶者など、人との関係性がどんどん変わっていく。
その中で合わない人と無理して関わることがどれだけ大変か。
幼稚園の頃、先生の言葉で仲の良い友達を大事にできて良かったと思えています。 -
幼稚園の先生との秘密
幼稚園に通っている時、とても大好きだった女性の先生がいました。
いつも優しく笑顔で話しかけてくれるので、人見知りだった私も先生には心を開いて沢山お話をするようになっていました。
夏休みになって私は家族とディズニーランドに行きました。
初めてのディズニーランドにとても感動して、帰りはお土産を買って帰ることにしたのです。
そこで大好きな先生にもお土産を買って渡そうと思いつき、ミッキーマウスのキーホルダーを買いました。
早く先生に渡したいとウキウキしながら眠り、翌日幼稚園に行き先生にお土産を渡しました。
そこでとても感動して楽しかったディズニーランドの思い出話を先生に沢山話したのです。
先生は一生懸命私の話しを聞いてくれて、お土産もとても喜んでくれました。
先生はそのキーホルダーを自分のかばんに付けてくれて、とても大切にしてくれたのです。
何ヶ月後、今度は先生から旅行のお土産をいただきました。
私の名前の書いているハンカチを選んでくれていました。
幼稚園児ながらお土産をもらえたことがとても嬉しくなり、先生と自分の二人だけの秘密の様な気持ちになりました。
卒園する時、先生からお土産を買ってきてくれて本当に嬉しかったよと言ってもらえて嬉しかった思い出があります。 -
発達が不安な息子の幼稚園探し
私の息子が幼稚園に入園する時のエピソードです。私の息子は幼い頃発達面に心配があり、明確な診断はなかったものの「落着きがない」「2歳で二語文しか喋らない」「石や砂を食べてしまう」等があり、発達障害を疑わざるを得ない状況でした。そんな中での幼稚園探し。地元の幼稚園は当時2年保育で、発達が心配な息子を早く集団に入れて刺激を与えたいという思いから3年保育の幼稚園を探しました。探し始めた当初は「空きがあれば入れるだろう」と安易な考えでしたが、その考えは見事に崩れました。ある私立幼稚園の園長先生は、落ち着きのない息子を見て明らかに怪訝そうな顔をし、2度目にお会いした時には「療育に通うことが入園の条件です」と言われました。たった数時間息子を見ただけなのに……。まだ2歳の息子は「右向け右」と言われると、必ず右を向かないといけないのか……と帰り道に息子の手を握り涙をぬぐいました。そんな時にインターネットでふと見つけた私立幼稚園。ギリギリ通える範囲で、少人数制の保育に惹かれ、親子で見学に行きました。一通り施設を見学した後、園長先生との面談がありました。私も主人も包み隠さず息子の発達面が心配であることをお話し、入園を断られる覚悟で「落着きがないので、特に年少のうちは運動会などは厳しいかもしれない」と話をしました。すると園長先生は「お母さん、何を言ってるの?動かない子どもなんて逆に怖い。人形じゃないんですから!」と笑い飛ばし「子どもが落着きがないのは当たり前!指示に従うだけの子どもなんて子どもじゃないですよ」と仰ってくださいました。その言葉で私たちはその幼稚園に入園を決め、息子はのびのびとした優しい先生方と色々な性格のお友達に囲まれて3年間を過ごしました。そんな息子も、もう6年生。まだまだ心配は尽きませんが、素晴らしい幼稚園に恵まれたおかげで、人一倍優しい男の子に成長しました。あの時の園長先生のお言葉は、今も私の中で大きな支えとなっています。
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保育園児の冬の小さなイベント
北海道の冬は、とても長く雪遊びを楽しむ保育園生活。いつも遊んでいるのは、かまくら作りや雪合戦、おままごと、つららを取ること。子どもながらに毎日が楽しく友達と先生と遊んで過ごしていました。それでも、冬は長く同じ遊びで飽きることも。そんな中、年長クラスの時に担任の先生から突然、「宝さがしやるよー!」との声掛けが!お部屋の中でやるのかな?と思っていたら、「外に出るから準備して。」とのこと。何をどうやるのか分からないまま身支度をして園庭に出て、先生が持っていたのは、みかん。すると先生が「雪の中にこのみかんをたくさん隠すからみんなはそれを探してね!」と。外で宝さがし!しかも食べ物のみかん!雪の中を探す!凄い楽しそう!!と思い、寒さなど全く感じず無我夢中で雪の中のみかんを探す私達。しっかりと人数分を用意してくれ、全員が見つけるまで十分な時間をとってくれました。早く見つけた友達はまだ見つけていない私の分を一緒に見つけてくれ、全員見つけるとみんな達成感がいっぱいでした。いつもの宝さがしだと、そこで終わりですが今回はまだお楽しみが。自分が見つけたそのみかんをお部屋に持ち帰り暖かいお部屋の中で食べるという幸せな時間。とても楽しい思い出として30年近くたった今でも鮮明に覚えています。先生ありがとうー!