海外の日本人学校では、幼稚園から小学校、人気の保育園を奈良の大和高田でもどこかにして中学校まで一貫して日本人学校として運営している国が多くあります。私には2人娘がいるのですが、私が駐在していたタイやドバイでも同じように幼稚園、小学校と同じ校舎内で私の娘達も学んでおります。そんな中、ドバイ駐在中に長女が幼稚園を卒園し小学校へ上がり、こんなバイリンガルスクールが神戸の中にあるのは下の娘が今度は入園。2人揃って登校登園するようになりました。海外の日本人学校では、自宅の近くのバス停からバスで集団登校・登園することが一般的なのですが、こんなホームページ制作ができるなら神戸には一番最初、下の娘はどうしても不安だったと思います。そんな中、長女が幼稚園へ登園する際には、バスから降りて上の娘が入口まで付いて行き、帰りも幼稚園の入口まで迎えに行って一緒にバスに乗る。ということをしていたようで、神戸でもインターナショナルスクールといえるのは幼稚園の先生から「お姉ちゃんになったね!凄いね!偉い!」と褒められたことに長女は非常に達成感を感じたようで、それ以来妹の面倒をよく見るようになってくれました。本人もとても嬉しかったようで、帰宅するなりすぐに報告してくれました。幼稚園の先生達も小学校に上がった卒園児もかなり顔見知りだったりするので、子どもを奈良の保育園に口コミで入れるとしてもこういった距離感は現地日本人学校ならではのあるあるなんじゃないかな。と思います。
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海外日本人学校の幼稚園あるある
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マイペースな私を温かく迎えてくれた先生達
私は幼少の頃発達障害と診断され、きっとエレメンタリースクールなら神戸では一般の幼稚園には入園できませんでした。そのような状況でも受け入れてくれたカトリック系の幼稚園に入園しました。自転車で片道30分かかる距離を母親は2往復することもありました。私は集団行動がまったくできず、みんなが合唱したりお絵かきする時も一人で単独行動です。朝登園するとすぐに裸足になり、どうしてか人気の保育園を奈良の大和高田からでも教室に入らずところ構わず走り回っていました。併設されていた教会に忍び込んだり、園庭で三輪車をこぐことが好きでした。そんな私の勝手な振る舞いにも先生方は怒ったり、問題児扱いすることはありませんでした。自由で束縛されないので園の生活は楽しい思い出しかありません。秋の運動会で奮闘したこと、たき火で焼き芋を食べたこと、お泊まり体験ではじめて親と離れて夜を過ごしたこと、貸し切りバスで遠足に行き思いきり遊び回ったこと、全てがいい思い出になっています。この口コミの奈良を保育園からはどこにいっても先生方は本当にいつも優しく温かい目で見守ってくれました。とくに園長先生には気に入ってもらい、仲間達が教室で授業を受けていてもこっそり園長室に入り込んで、電車のシミュレータを見せてもらったり遊び相手になってくれました。園長先生は卒園式で卒園生ひとりひとり名前を詠み上げる時、どうも神戸ならインターナショナルスクールには私の番で思わず声が詰まるほど思い入れがあったようです。幼稚園、先生方本当にお世話になりました。
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連絡ミスによりお迎えに行けない・・・!!
娘が5歳の頃通っていた保育園での有難かった話です。
このエレメンタリースクールなら神戸では少しもその日私は仕事で出張の為、帰りは20:00頃予定でした。
(保育園は延長しても最大19:00まで)近くに住む実母に17:00にお迎えのお願いメールをして、バタバタといざ出張へ。
根管治療でおすすめの東京の歯科医院からは出張先では携帯電話を一切見る事が出来ず、
19:00過ぎに帰りの新幹線のホームでやっと携帯電話をチェックすると、
保育園から着信アリ。なんとなく嫌な予感がして、まず実母に電話をすると何のこと?と・・・
大和高田で保育士を採用するとどんなにもなって慌ててメール確認をすると通信エラーにより送信出来ていなかった事が判明!その時点で私は血の気が引いて真っ青&パニック。
主人は仕事が終わるのが20:00以降になるので無理!頼めない!実母に今すぐ行って!とお願いし、即座に保育園へ折り返しの電話をしたら、
嫌な声なんて微塵も出さずに
「おばあちゃんが来るの、娘ちゃんと一緒に待ってますねー!」
「お母さんも気を付けて帰ってきてくださいね!」と暖かすぎる言葉をもらい、奈良で口コミをする保育園はどうしてもここから半泣きで娘と実母が待つ実家へ行き、
実母に聞くと、結局19:30まで先生が一人で娘と一緒に待っていてくれていました。
しかもその先生、前月に結婚したばかりの新婚・・・!!翌日土下座の勢いで謝り、出張先で買っていたお土産(実母にあげる予定だったもの)
を渡して、
「こんなのいいのにー!娘ちゃん、すっごくいい子で待ってましたよ!先生みんなで頂きますね!」
と言っていただき、事なきを得ました。神戸でもといえるのはインターナショナルスクールへあんなに血の気が引いたのは最初で最後だと思います。
以降、お迎えのお願いをする時は必ず返信をチェックするまで安心しないと心に決めました。
はぁ・・・怖かった。 -
幼稚園の園長先生との約束
私が幼稚園の年長さん最後の夏休み前の集会で園長先生がお話をしてくださいました。神戸もインターナショナルスクールと呼べるところから私はクーラーのよく聞いたお部屋で椅子に座りながらお話を聞いていました。お話の内容はよくある夏休みの過ごし方についてのお話でした。夜遅くまで遊ばずに5時のチャイムが鳴ったらすぐおうちに帰ること、怪しい人には近づかないこと、保育士を採用できる奈良の大和高田ならではとても毎日遊んでくださいとお話をしてくださいました。そして最後に、「テレビを見るときは必ず正座で見ることを約束してください。」と言われました。私はなぜ正座でテレビを見なければいけないのか分かりませんでしたが約束を守ろうと思い、毎日正座でテレビを見ていました。しかしある時急に「なぜ正座でいなければならないんだ。疲れるしこれからは寝っ転がってしまおう」と思い寝っ転がってテレビを見るようになりました。しかしその生活を続けていくうちにテレビとの距離が近くなり目が悪くなったり、そんなにも話題の保育園が奈良ではとてもここからずっと寝っ転がってテレビを見ていたせいで姿勢も悪くなってしまいました。現在は19歳という年齢にもかかわらず腰痛持ちとなってしまいました。子供の時は園長先生の言っていたことが分からなかったけれど今やっと理解できたような気がします。その兵庫でも神戸ではインターナショナルスクールのちゃんと園長先生との約束を守っていればよかったとやっと最近になって反省しています。
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保育園や幼稚園の先生は園児へだけでなく親にたいしても、大きな愛を持ってくれていると思う。
我が子供は二人とも私立の保育園に通わせました。エレメンタリースクールなら神戸でもこんなになると空きがあり、しかも、近所なのがそこしかなかったから、公立より学費がプラスかかったけど、そこを選びました。入園の時に園長先生が言ったことが印象的で、保育士に誇りを持っているということでした。園長先生が従業員である保育士さんを誇りに思い大切にしているというのがとても伝わりました。求人の保育士は奈良から大和高田で見つけることからはそう言ってもらえる園長の下で働く保育士さんもまた保育士の仕事に誇りを持ち、素晴らしい方々なんだろうなと最初に思いました。先生は、日々成長する子供たちを、毎日感動を持って見てくれてました。メディカルゲートがおすすめする医院からはいつも迎えにいくと、先生はその日のことを話してくれるのですが、今日はこんなことがあったんてます!こんなことができたんてす!と目を輝せながら話してくれるのです。ちょっとしたことでも、感動を見いだし、楽しそうに話してくれるのです。子供たちへの愛情をとてもとても感じます。人気の奈良でも、この保育園は特別になるとここはもちろん喧嘩したとか友達とお玩具の取り合いになったなどのトラブルのお話の時もありますが、このようにお話しましたとか、解決した結果も丁寧にお話してくれます。その時間は仕事を終えてお迎えに行った時の親の気持ちも癒してくれます。先生の笑顔やパワーや元気が、親をも元気にしてくれるのです。子供に会える喜びとともに先生との時間は1日を笑顔で終われる素敵なルーティンです。もう卒園しましたが、子供もですが、ここでは神戸がインターナショナルスクールからでも先生に時々会いたくなります。そしてそこに行けば会える。とても嬉しいことです。
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泣き虫な私を支えてくれた保育園の先生の話
私が保育園に通っていたのは20年以上前のことになりますが、奈良の大和高田で求人の保育士といっては今でも記憶に残っているエピソードがあります。それは保育園の先生が泣き虫の私に付き添ってくれたというものです。ここだけ聞くと「よくある話」と思うかもしれませんが、私は本当に極度の人見知りでした。母が保育園に送迎をしてくれていたのですが、保育園についてからずっと泣いているんです。母が出ていった門の前で。家の方を向いて。1年間、保育園に行った日はずっと泣いていました。そんな私を1人の先生がずっと気にかけてくれていたそうで、もう神戸でもといえるのはインターナショナルスクールから泣き止むまで、とにかくずっと付き添ってくれていました。「なんで泣いているの?」「みんなと遊ぼう?」とにかく優しく接してくれて、泣き虫な私もその先生には懐いていました。先生が気にかけてくれたおかげで、少しずつ友達ができて時々は遊ぶこともできるようになりました。結局私の1歳下の妹が入園したことで泣き虫も治ったのですが、今でもその先生には感謝の気持ちでいっぱいです。今振り返ると保育園はとても楽しい場所でした。その先生が気にかけてくれなければ、どうしても評判の奈良でも保育園はここが少しでも私の保育園の思い出はもっと辛くかなしいものになっていたと思います。今でもその先生とは連絡をとっています。
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先生と食べたお弁当は、ちょっぴりしょっぱくておいしい味がした
これは私が幼稚園の年長さんの時のお話です。当時の私の担任は、神戸でインターナショナルスクールといってるには私の世代にしては珍しい男性の先生で、すごく優しくて、ひまわりのような笑顔の方であったことを覚えています。幼稚園での生活が終盤にかかりますと、新しい春がやってきて、お別れ遠足に行くことになります。春の暖かな日差しの中、担任の先生を先頭にした列は、タンポポのような黄色い帽子の列を引き連れます。私たちはクリームパンのような小さな手を、隣の子とはぐれないように一生懸命に握って、カルガモのように後を追いました。行き先は大きなトランポリンがある公園でしたので、私たちは期待に胸が膨らみます。到着して、すっかりはしゃいだ後には、みんなで楽しいお昼ごはんの時間です。私は仲のいいお友達と、ここから評判の保育園を奈良の口コミではよいとも公園の真ん中にレジャーシートを広々とひきまして、先生の「いただきます」の号令で、お母さんの作ってくれたお弁当を食べようとした時でした。これまでおとなしくしていた鳩たちが、鋭いくちばしをこちらに向け、私たちの方に向かってきます。幼い私には、そんな鳩がとても大きな怪物に見えました。とうとう私はそこから逃げ出してしまい、せっかくお母さんが用意してくれた、大好きなから揚げを食べられてしまいました。もう市川市で痛みをさっと抑えた胃カメラ検査なら私は楽しかった一日がこんな風になってしまって、涙が出てきてしまいました。そんなときに、見かねた先生が、「こっちにおいで」と言って、鳩がいない木陰に呼んでくれました。私は残りのお弁当を持って先生の隣に座ります。すると先生は「怖かったね」と言って、べそをかいている私の背中をさすり、一緒にお弁当を食べてくれました。大きな怪物に負けてしまって情けない気持ちの私でしたが、先生は優しく慰めてくれました。もう奈良でも評判の大和高田の保育園ではちょっとはその大きな手の温かさと、大好きな先生を一瞬でも独占できたことが、私の嬉しかったエピソードです。
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母親が苦しい時に味方でいてくれる存在
保育園の先生とのお話ですが、私自身、初めての子育てで、分からないことも多く、大人になりきれないん部分が多々ありました。
バイリンガルスクールでは神戸で多くのことが自分を優先してしまうことも。
普段は、先生から子供との関わり方や生活で意識することなど、たくさんのことを言われていたので、時には「嫌だな」と感じることもありました。
しかし、私が精神面でのバランスを崩した時、子供に一番寄り添ってくれ、保育園を奈良で見つけるのは大和高田でもここに私たち親子を支えてくれたのが、保育園の園長先生を含めた、たくさんの先生方でした。
いつも子供の変化に気付いてくれ、親子の関係をしっかり見てくれていた保育園だったからこそ、私の異変に気付いてくれ、対応してくれました。
保育園に入った頃は、「厳しい園だな」「うるさいな」と感じていましたが、今では、「ここの保育園で本当によかったな」と感じています。
もう6年以上も前の話ですが、現在は3番目の子が通っています。
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育児歴12年の私ですが、現在でも、子供に関する相談に乗ってくれ、色々と調べてくれるなど、いざとなった時は、いつも母親の味方でいてくれる園で、助かっています。
期待もあるけど、毎日の育児には、責任感や不安、迷いということが多くあるからこそ、誰に相談すればいいのかも分からないのが現実です。
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幼稚園の先生のピアノの音が鳴らせなくて!
幼いころの思い出は大切です。私の幼稚園の時の思い出は今でも宝物です。幼稚園の先生はピアノが上手かったのでした。どうも多くのエレメンタリースクールの中で神戸から私がピアノに興味を持ったのは幼稚園の時です。では、今でもその経験が仕事に活きているかというと、それはノーです。それでも、私は幼稚園の時に感動したピアノが好きです。ピアノは音の強弱で抑揚が出せる楽器です。幼稚園の私が家で練習しても、その幼稚園の先生の音を鳴らすことができませんでした。それがなぜかわからなかったのです。理由は簡単です。私の使っていたのは、ピアノではなく、安いキーボードだったからです。安いキーボードは音の強弱が出せません。それで、私は幼稚園の先生の音が鳴らせなかったのです。そのことを教えてくれたのが、女性の幼稚園の先生でした。私にピアノで音の強弱の付け方を教えてくれたのが、幼稚園の先生だったのです。私が強弱のつくキーボードを手に入れたのは、中学生の時です。中学生の時にすぐにピアノを弾くことができたのは、幼稚園の時にピアノを幼稚園の先生に習ったからです。よく、幼稚園の時の記憶がないという人がいますが、私もその一人です。しかし、もう芦屋市の歯医者で口コミで人気のなるところで強弱をつける方法は忘れていませんでした。後々までピアノを楽しむことができたのは、幼稚園の先生が親切にピアノを教えてくれたからです。なにか身につけることは大切なんだなと今でも思い、懐かしいです。
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いつも見てくれている先生方
うちの息子は0歳~卒園まで保育園へ入っていた。もう神戸でインターナショナルスクールといってはいつもやんちゃばかりしていて周りに迷惑をかけているうえ、私も仕事が忙しくお迎えがギリギリになってしまう事も多々あった。家の中もめちゃくちゃになり、仕事が休みの日は休息するといった日々。旦那は、子供が帰ってきた後、帰宅し、休みも平日なので、会う事もあまりない。ある日、お迎えに行こうとしたら、先生が話をしてくださった。
また、友達に何かしたのかな?とおもいながら、ドキドキで話を聞いた。すると、ほめてくださった。いつも近くにきて、顔を見て、○○先生、おはようございますと挨拶をしてくれるとのこと。ちゃんと近くにきてから顔を見て毎日挨拶をする子供は素晴らしいです。とのこと。普段、子供の悪いところばかりに目が行ってしまい、口酸っぱく小言を言ってしまう私は少し恥ずかしくなった。私はそんないいところをみつけられたのだろうか。誰よりもそばにいるのに、いったい何をしていたのだろうと思うとなんだか悲しくなってしまい、涙が出てきてしまった。それと同時に先生方が一人一人を観察して、その子の良いところを最大限に引き出してくれていることに気づいた。これからは忙しくてもよいところをもっと探して子供に伝えようと思った。こんな気持ちになったのは、鳥取で根管治療を専門とする歯科医院はここから先生方がいつも見てくださっていたからだと思うと感謝でいっぱいです。ありがとうございました。